2019年10月28日

七五三のウンチクです

七五三のウンチクです

来月は、七五三の時期です
最近はなんだか、お祝い事というか、イベントっぽい
とらえ方のお若いパパイヤやママが、増えてきた気がします

そこで、原点の戻って、なぜ七五三を行うのか?
に関しまして 手元の文献を引きずり出して
お話したいと思います。

今では医学が進み幼少期に悲しいお別れを
しなくてはいけないことも、随分と減ってきました
昔は幼少期に亡くなる子供たちが多かったんですね
だからこそ、昔ながらの儀礼に倣って、お宮さんに
健康祈念と感謝の報告に行ってたんですよね

さて、それでは(少し長いですよ、へこたれず読んで下さい)

② 髪置き

昔は乳児のあいだは病気予防のために髪を剃っておく風習があり、その剃っていた髪を伸ばし始める儀式が髪置きです。

これが乳児から幼児への節目となり、男女児ともに数え3歳頃に行なわれます。

③ 紐解き (紐落とし・紐直し)

一つ身の着物&付け紐から三つ身の着物&付け帯(付け紐)へかえる儀式です。

男女児ともに数え4歳頃に行なわれます。

一つ身の付け紐を解いて(落として)付け帯へかえるので紐解きや紐落としといいますが、
三つ身の付け帯を付け紐と捉えるなら付け紐から付け紐へかえるので紐直しといいます。

④ 袴着 (着袴)

男児が初めて袴を着ける儀式です。

これが幼年から少年への節目となり、男児の数え5歳頃に行なわれます。

⑤ 帯解き (帯直し・帯結び・紐解き・紐落とし)

女児が三つ身の着物&付け帯(付け紐)から四つ身の着物&普通の帯へかえる儀式です。

これが幼女から少女への節目となり、女児の数え7歳頃に行なわれます。

付け帯を解いて普通の帯へかえるので帯解きや帯直しや帯結びといいますが、
三つ身の付け帯を付け紐と捉えるなら付け紐から帯へかえるので紐解きや紐落としといいます。

ここで③の数え4歳頃の儀式も紐解きや紐落としということに注意しましょう。


前述の②髪置きから⑤帯解きまでの各儀式は室町時代に公家や武家のあいだで始まったといわれますが、
江戸時代になると呉服屋の宣伝によって広まっていったといわれます。これが七五三のルーツですね。

現代の形の七五三は、明治時代に出来上がったといわれます。

なお、七五三というと、数え3歳の男女児の髪置き、数え5歳の男児の袴着、
数え7歳の女児の帯解きだけと思われがちですが、もとは数え4歳の男女児の紐解きというものもあり、
現代でも熊本県や兵庫県など西日本の一部の地域では4歳のお祝いが行なわれているところもあるようです。

熊本県 西岡神宮
http://nishioka-jinguu.com/formal.html
熊本県 山崎菅原神社
http://yamasaki-tenjin.com/news/Gokigan/entry-401.html




七五三が11月15日になった理由

七五三のルーツとなった袴着などの各儀式には、それまでの成長を神様に奉告して加護を感謝し
今後の成長と加護を祈るという意味があり、もともと特定の日にちに行なわれるものではありませんでした。では、
どうして七五三は11月15日になったのでしょうか? これにはいくつかの説があります。

① 冬至前後の収穫感謝祭に由来

旧暦では冬至の日の直前の新月(朔)の日を子月朔日(11月1日)として、冬至を基準に暦を作っていました。
冬至はこれから日が長くなり始める「一陽来復」の特別な日であり、
冬至の前後にあたる11月の2回目の卯の日や11月15日の満月の日に、
神様に収穫を感謝する風習があったとされます。11月の2回目の卯の日は収穫を感謝する新嘗祭になりますが、
11月15日の満月の日は収穫を感謝するとともにこどもの成長を感謝し今後の成長を願う日になったという説があります。

② 徳川家光の四男・徳松の5歳の袴着の祝いに由来

3代将軍・徳川家光には5人の男子がいますが、正保4年8月4日(1647年9月2日)に次男・亀松が数え5歳、
慶安元年7月4日(1648年8月22日)に五男・鶴松が数え1歳で逝去したため、
慶安3年11月15日(1651年1月6日)の二十七宿の鬼宿日に
体の弱かった四男・徳松(後の綱吉)の数え5歳の袴着の祝いを盛大に行なったことから、
これにちなんで11月15日になったという説があります。

③ 徳川綱吉の長男・徳松の3歳の髪置きの祝いに由来

5代将軍・徳川綱吉の長男・徳松の数え3歳の髪置きの祝いに、
天和元年11月15日(1681年12月24日)の二十七宿の鬼宿日に赤坂日枝神社に参詣したことから、
これにちなんで11月15日になったという説があります。


よく見かける間違い
七五三が11月15日になった理由として、徳川綱吉の長男・徳松の数え5歳の袴着のお祝いを
二十八宿の鬼宿日に行なったことにちなむというものをよく見かけますが、これは明らかな間違いです。
綱吉の長男の徳松は延宝7年5月6日(1679年6月14日)生まれですので、
数え5歳の11月15日といえば天和3年11月15日(1684年1月1日)のことになります。
しかし、綱吉の長男の徳松は天和3年閏5月28日(1683年7月22日)に数え5歳で逝去しているため、
その半年後の11月15日にお祝いのしようがないのです。前述のように綱吉の幼名も徳松であり、
その数え5歳の袴着のお祝いなら盛大に行なわれたとのことですので、
これを綱吉の長男の徳松と混同しているのかもしれませんね。
また、暦注には二十七宿と二十八宿というよく似たものがありますがそれぞれ配当の規則が異なります。
二十七宿は六曜と同様に旧暦の日付で毎月1日のものが決まっているため11月15日は必らず鬼宿日になりますが、
二十八宿は日の干支のように単純に28日ごとにまわっているため11月15日が必らず鬼宿日になるとは限りません。
そもそも二十八宿が採り入れられたのは貞享2年1月1日(1685年2月4日)から施行された貞享暦からで、
それまでの暦で用いられていたのは二十八宿ではなく二十七宿でした。




現代の七五三

七五三の日にちが11月15日になった理由の1つとして
徳川綱吉の長男・徳松の数え3歳の髪置きの祝いが11月15日だったというものがあり、
七五三のルーツの1つに数え3歳の男女児の髪置きがあることからわかるように、
七五三の対象年齢は男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳というのが一般的でした。
しかし、現代では男児の3歳のお祝いは省略されて、男児は5歳だけというケースが増えてきました。
七五三の由来を知らない方のなかには、男児は昔から5歳だけが普通で、
男児の3歳は最近になってのものだと思い込んでいる人もいるようですが、
これはまったく逆で、由来からみれば男児は昔から3歳と5歳が普通で、
男児の3歳を省略して男児は5歳だけというのが最近になってのものです。

さきに西日本の一部の地域では4歳のお祝いが行われているところもあると紹介しましたが、
七五三の風習は地域によっていろいろと異なることもあります。
例えば厄年とからめて3歳・5歳・7歳をこどもの厄年として七五三に厄払いの意味もあるとするところもあります。
したがって、どこかの地域の七五三の風習だけをとりあげてそれが一般的というような考え方はあらためたほうがいいでしょう。
しかし、たとえ地域によっていろいろな差があるとしても、そもそも由来からみればどうなのかということならできますね。
そして「男児は昔から3歳と5歳が普通」というのは数え3歳の男女児の髪置きという由来があるものですが、
「男児は5歳だけ」とする謂われはどこにもありません。

各地の神社のサイトをみても男児は3歳と5歳と案内しているところがほとんどですね。

ただし、年齢については、由来どおりなら数え年ですが、現在は満年齢で行なうのも一般的になりつつあります。




満年齢の七五三——11月16日〜12月31日生まれと早生まれの場合

七五三を満年齢で行なう場合、その満年齢については次の3とおりの考え方があるようです。

① 11月15日の時点の満年齢

② その年に達する満年齢

③ その年度に達する満年齢

誕生日が4月2日〜11月15日の場合は①②③のどれでも違いはありませんが、
11月16日〜12月31日生まれと早生まれの場合は①②③によって該当する年が変わるため、
12月や1月生まれのこどもの七五三はいつやるべきかという質問はよくみかけます。

例えば、平成22年(2010年)12月15日生まれのこどもの場合、平成25年(2013年)11月15日の時点では満2歳11ヶ月のため、
①で考えるなら七五三は満3歳になってからの平成26年(2014年)11月15日ですが、
②や③で考えるなら七五三は平成25年(2013年)ということになります。

また、平成23年(2011年)1月15日生まれのこどもの場合、平成25年(2013年)11月15日の時点では満2歳10ヶ月で、
①や②で考えるなら七五三は満3歳になってからの平成26年(2014年)11月15日、
③で考えるなら七五三は平成25年(2013年)ということになります。

ちなみに、数え年では、平成22年(2010年)生まれは平成22年(2010年)のあいだが数え1歳、
平成24年(2012年)のあいだが数え3歳で、平成25年(2013年)は数え4歳、平成26年(2014年)は数え5歳となります。

平成22年(2010年)12月15日生まれは、数え年で行なう場合は平成24年(2012年)が該当年となることから、
①で考えた平成26年(2014年)では数え年で行なう場合より2年も遅れることになりますね。

一部の育児雑誌などでは七五三の該当年として①の11月15日の時点の満年齢を紹介しているケースがあるようですが、
七五三を満年齢でも案内している神社仏閣では②の「その年の満年齢」で案内しているケースが多いようです。

東京都 江北氷川神社

http://www.hikawajinja.com/753 1.html

埼玉県 大沢香取神社

http://www16.ocn.ne.jp/~katori/sub/753.html

そもそも七五三のお参りに行くのは11月15日よりも11月1日〜15日のあいだの土日祝日のほうが多く、
もともとは数え年に由来する行事であることを考えると、11月15日の時点の実際の満年齢にこだわる理由はありませんね。

11月16日〜12月31日生まれの場合、①の11月15日の時点の満年齢では数え年と2年もズレてしまうことを考えると、
②の「その年の満年齢」で行なうほうがいいでしょう。

また、早生まれの場合は、①でも②でも同学年のお友達より1年遅れになることから、
成人式と同様に③の年度で考えて同学年のお友達と同じ年にするのもいいかもしれません。

いずれにしても、七五三は数え年に由来するものですので、満年齢については①②③のどれが正しいということはありません。

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Posted by 紗綾大将 at 13:20│Comments(0)きもの
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